不安と安心
10月はアプリの機能追加をいったん止めて、少し立ち止まっていました。
体調を崩したり、思わぬトラブルが重なったりと、「運が悪い時期」という言葉がぴったりの数週間でした。
せっかくの機会なので、起きた出来事を整理しながら、自分の中の「不安」について考えてみました。
不安は未来からやってくる
不安というのは、これから起こることに対して感じるものです。
つまり、不安は未来からやってくるのだと思います。
未来は誰にも確約できません。
「うまくいくだろうか」「望んだ結果は得られるだろうか」と考えると、自然と不安になります。この構造は避けようがありません。
不安は、まだ見えない未来がこちらに向かって押し寄せてくる“強いエネルギー”のようなものです。
だからこそ、人はその力に耐えきれず、安心を求めて過去に逃げようとするのだと思います。
安心は過去にある
安心は、すでに起きた出来事のなかにあります。
「前もなんとかなった」「あのときはうまくいった」という記憶のなかに、確かさを見つけに行く行為が“安心”の正体だと思います。
つまり、安心を探す矢印は、現在から過去へ向かうのです。
不安が未来から押し寄せ、安心を探して過去へ流れていく。
その一方向の時間の流れのなかに、人はただ立たされています。
では、なぜ人はそれでも不安を抱えながら、流れに逆らって走り続けるのでしょうか。
その理由になるのが、希望です。
希望は、なぜ人を走らせるのか
不安は、未来が確定していないことから生まれます。
けれど、確定していないということは、望ましい方向へ変わる余地があるということでもあります。
その「まだ決まっていない」余白が、希望の正体です。
希望は、不安の中に潜む不確定性を、自分の望む方向へ確定させようとする力です。
不安を完全に消すことはできません。
けれど、不安の中には「まだ変えられる未来」がある。
その未来を、望ましいと思う方へ引き寄せようとする――
その動きこそが、希望なのだと思います。
希望を守るという生き方
希望は意志の問題ではなく、環境の問題でもあります。
どんなに心を強く持とうとしても、希望を痛めつける環境の中では、いつか心の木も折れてしまいます。
だからこそ大切なのは、希望が育つ環境にすること。
少なくとも、希望をへし折るのが上手になってしまうほどの状況を減らすことです。
希望を「植え直す」ことができる人は恵まれています。
けれど、希望を守るという生き方なら、どんな状況の人にも、現実的にできることだと思います。
安心は過去の奥に眠っています。
そのあいだにある「まだ決まっていない」余白。
そこに、希望は生まれます。
 
.jpg) 
.jpg) 
 
 
 
.jpg) 
.jpg) 
.jpg) 
.jpg) 
