日記の設計に頭を悩ませる
神棚アプリの日記は、心が自然に感謝へ向かう手助けをめざして設計しています。
最近は書籍や論文を幅広く読んで知見を集めています。
特に本については歯切れよくこれをすると良いと書かれていて、そうかと思うこともたくさんあります。
けれど、根拠の提示には抜けが目立ちます。この研究に拠ればとは書いているものの、誰にどんな状況でどう測ったか、再現性や反論、またそれは支持されているかなどが省かれがちです。そのまま一般化するとプロダクトとしては“賭け”になり、多くの人に不要な負荷を与えかねません。これは慎重にならざるを得ないと考えを改めるに至りました。
マインドを変えるということ
「つねにポジティブであるべき」という前提は、どこかで無理を生みます。
例えば何らかのイベントで一時的に高揚して変化を体感しても、日常に戻れば大きな反動が来ることもあります。
ポジティブ一辺倒は「ポジティブ教」とも揶揄されるため、いまはネガポジ二項対立以外の示唆も増えてきました。
感謝の限界
それでも物事にはネガとポジがある以上、すなわち感謝がポジ側を向く以上は感謝にも限界があるようにも見えます。
その一つとして「逆境は試練、ゆえに感謝を」という主張もあります。
しかし、つらい境遇の只中にある人へ「感謝が足りない」と迫ることにはならないでしょうか。「その境遇にある人のこと」への配慮を欠いているような気がします。
善意のアンサーが、かえって負荷になる危うさも強く感じました。
そのフレームから出るということ
感謝できない日があって当然です。私自身にもあります。
感謝はゴールではなく、結果としてラベリングできる感情の一つでではないでしょうか。
だとすれば、そこに至るまでの過程をすっ飛ばしても付焼刃です。
過程は人それぞれであって、他人のを見て良いなと思うことはあっても他人がこれと決めることは無理があるように見えるのです。
もう一つの解を出す
踏まえて今回一つの形として追加したのは感謝よりも前の話、一体自分は何を大切にしているのかを探るワークです。
「あなたにはこれが大切だね」というのではなく、記憶の断片から自分の中にある大切なことを掘り出していくアプローチです。
これを日記の雛形にプレミアム限定にて追加しています。
世間的には大切だねと言われていることも、自分の中に無ければそうだねと思うことは難しいです。こういうの地味に傷付くんですよね、だから、まぁ何言われても私には家に帰れば生ハムの原木があるしな的な”自分にとって充足となる大切なこと”がハッキリしていると良いなと思います。
ちなみに本当に生ハムの原木があるかどうかの優劣ではなくて、本人にとってそれが良いということを認識できているというインターネットミームを使った例え話です。
あくまでフィクションとしての例ですが、ビンテージなおもちゃを集めていて、コンプリートすべく中古で探し出しているという充実した趣味があったとします。どうして集め始めたのですかと聞くと、子どもの頃に親に捨てられたからだと。だとするとこの充足感は過去の泣いている自分を喜ばせようとしているところから生まれるのかもしれません。
そうすると、物を購入できるだけの経済状況や、おもちゃを市場に流通してくれた前のオーナーに感謝をすることはあっても、きっかけとなった親に対して感謝というのは、泣いてる子どもにおもちゃを手渡して、その横にいる親に「おもちゃ捨ててくれてありがとう」と言っているようで倒錯しており違和感があります。 感謝をするにも何にという明確さが必要であると思います。
このフィクションの例なら、まずは自分を大切にした自分にありがとうかもしれませんね。
人のことは気にしないでいいからあなたの大好きを聞かせてね、っていうのが今回のコンセプトです。
言わずもがなですがアプリは記載内容を管理・収集しておりませんので、書いた内容を開発者が知ることはありません。
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